報道という曖昧性

同じニュースに対する2つのややニュアンスの異なる内容。
http://www.sankei.co.jp/news/050427/sha096.htm
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20050427i416.htm
供述を比べると、前者は誤解を解こうとして起きてしまったもの、後者は誤解に関する苛立ちからの故意に起こしたものとまったく違った印象で見られてしまいます。わざわざ2通りの供述を公表したわけでもないでしょうから、これは公表時に誤解を招きかねない表現があったのかもしれません。
どちらにせよわざと列車に接触させるつもりはなかったのでしょうが、後者ではわざと接触させたとも受け取られかねません。
一方で、見出しを見ると後者の方が穏当な表現を使っています。見出しは読者の関心を惹くために大げさに書かれることが多いですが、真実を伝えるべき報道はこのように読者の関心を煽るようにと大げさに書くのではなく、やや控えめ気味とも思えるくらい客観的で理性的であるべきかと思います。
“事実に基づいた大げさな報道”と“誤報”は紙一重だということを常に肝に銘じておいてほしいです。