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京急1500形@蒲田

今日は昼まで自宅待機、と言う名の家事*1をし、情報を収集。
午後は運動不足の緩和という名目で歩きに出かける。行く先は東海道。他の街道*2も検討したのですが結局は無難なところへ。
13時過ぎに出立。東京駅で昼食を摂り、「ぷらっとこだま」でよく使う日本橋*3から日本橋へ向かう。
駅から5分程度で日本橋に到着し、14時12分、東海道(国道15号)を南下開始。数分と経たずに伊予銀に目を留める自分は何だろうか、と思いつつの出発。
まずは八重洲の辺りを通って右手に見える東京駅八重洲口のビルを眺める。今から見るとどうしても高度経済成長期の産物といった風に感じられます。この辺りは金融街の感が強いながらも雑多な業種を見ることができます。
やがて銀座に入ると店舗の種類が変わっていく。この辺の人たち・・・に限らず関東の人は関西と比べゆったりと歩くのですが、それだけでなく道幅いっぱいに広がるので抜こうにも抜けないのが難点><
この辺に来るとそう大きくない筋に対しても信号が設けられ、しかも同期式・・・。早足で抜けようと思っても一度引っかかると次以降で必ず引っかかるような歩行者に優しくないタイミングを取ってくれたりして苛々が溜まります。
そんな同期式信号も新橋まで来ると減ってくる。新橋ではゆりかもめの駅をくぐった後JR東海道新幹線JR東海道線などをくぐって山手線の内側へ。街頭も先ほどまでの都心の感じから少し落ち着いてきます。大門・三田の辺りを抜けると左手にはちらほらとJRの田町の車庫が見え、右手は高輪の台地になり、ほどなく品川駅前に到着。*4高輪口は降りたことがないので初めて見ましたが、国道15号から駅までのそう広くないスペースにロータリーを設置して辛うじてバスなどの便を図っているような印象を受けました。海手の側は新しく郊外駅のように広々とスペースを使っているのとは対照的です。
品川駅を過ぎてやがて上り坂になり、上ったところで左折して八ッ山の跨線橋でJR線を越える。左手には京急がありますが、ちょうどよく踏切が下りてきたのでカメラを用意して待つ・・・と現れたのは北総7000形。まさかここまで来てΣが現れるとは思いもしませんでした。
撮影などにうつつを抜かしていたせいで渡らない予定の踏切を渡ってしまい、すぐ近くの階段からアンダークロス途中の道へ出て改めて東海道に戻る。と、また踏切が鳴ったので待ちかまえるとまたしても北総7000形。何の因果か因縁か・・・。
ともあれここからは国道15号を外れて旧街道の趣を残す商店街を歩いていく。交通量の多くビルの建ち並ぶ国道から商店街の道に入った途端、それまでの地下鉄の排気口からの風やビル風とは明らかに違う心地よい風が吹いてきました。ちなみにこの辺りから旧東海道である旨の標識などが出てきます。*5
東海道最初の宿場町品川宿に入ってきたのでひとまずは飲み物を確保しようと思いながらもどんどん進み、結局青物横丁近くになってようやくコンビニで確保。江戸期にはスポーツドリンクなどというものは有りようはずもないだろうなどと思いながら緑茶を購入。
商店街から住宅地に変わっていきながら、大森のあたりで国道15号と合流。大森海岸の駅前を通って平和島入口の交差点を過ぎてすぐに再度国道と分かれて京急平和島の駅前を避けるように旧道は通っていきます。そして大森警察署前で再度合流。この先は六郷の橋を渡り終えるまで国道を歩き続けることに。大森町・梅屋敷と通過していきやっと蒲田へ。京急の立体交差工事はまだまだ先が長そうですが、空港線の踏切がそれまで残るのは渋滞の元になるという意味では困りものでしょうけど個人的には嬉しかったりします。
そしてその踏切。第一京浜という幹線を分断するようにあるというだけでなく、駅のすぐそばなのに加えて急カーブなので速度が出ないというのが特に問題視されますが、そういった形状であるからこそ都会にありながらこの踏切に風情を感じられるのだと思います。ここでも踏切待ちをし、遭遇したのは今度こそ京急の1500形。
そろそろ日頃の運動不足が祟って足が悲鳴を上げつつありますが、次の宿場町川崎までは行く予定で出たわけですから投げ出すわけにはいきません。が、東海道線などで乗ってみてもわかるように蒲田〜川崎は単なる川の向こうとこちらといった程度のものではなく、意外と距離があります。歩けど歩けどなかなか橋に辿り着かないのです><
ようやく新六郷橋に到着。ここを渡れば川崎、神奈川県です。あいにくの曇天で遠くを臨むこともかないませんが、それでもここくらいはとゆっくり歩きます。右手には行き交う京急東海道線京浜東北線。河原にはゲートボールに興じる老人たちの姿。そして海側からは心地よい風。
橋を渡り終える直前、どこからか電車の走る音、それも近くから聞こえてきます。最初は併走する京急・JRかと思ったのですがそれにしては音が近すぎます。橋を渡り終えると答えはすぐそこにありました。堤防のすぐ脇の低いところを走っているのは京急大師線。こんなところを走っているとは思いもしませんでした。
渡ってすぐを左に折れ、川崎宿へ入っていく。宿の中心を通っていた東海道は今でも町の中心を通っています。しばらく歩いて駅前の通りに出たのでここで東海道の徒歩を中断、JRの駅へと向かうことに。京急にも乗ろうかと思っていたのですが足がかなり疲れていたので早々に帰ることに。川崎宿に入った時点で約3時間半が経過。川崎駅では3時間50分くらい経過していたと思います。
そして東海道線に乗って川崎から東京まで戻っていくのは18分。時間のスケールが違いすぎてどういった印象をも持てません。

*1:食器洗いとか洗濯とか、掃除もした方がよさげ。ちなみに調理は専門外。

*2:中山道水戸街道佐倉街道など

*3:JR東日本の駅ながらこの口だけはJR東海の管轄らしい。

*4:品川駅という名称でありながら品川区、ひいては元々の品川の町にはないという妙な駅

*5:これまでは日本橋界隈にしかそれらしいものは見受けられず。